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カテゴリー: 知っててお得?豆知識

仏壇の蒔絵 曹洞宗 編

仏壇の蒔絵 曹洞宗 編

道元大師 「行脚修行」

紅西省に廬山があり、そこは天下の景勝である。
この山水を賞玩しながら行脚修行の第一歩を踏まれた。
暗闇の風がさっと吹いて、樹を動かしたかと思うと恐ろしい猛虎が欄々とした眼を怒らせ牙を鳴らして近寄ってきた。
大師は静かに近くの石の上に端座された。
持っていた杖が龍と化してその虎を追い払い無事であられた。

道元大師 「白連の葉の上に座る如来様」

宝慶三年大師二十八歳の時如浄禅師より正法眼蔵を伝え授かられ、早く日本に帰って大法(仏の説教)を世間に普及させようと招宝山のふもとを船出された。
航海を初めて何日目かに空が急に曇り、風が激しくなり、波はたちまち荒れ、船は何度か沈没しそうになった。
その時大師は静かに舷頭に正座し、一応に観世音菩薩を頂礼して唱えた。
忽ち一同の光明が黒雲の間から輝き渡ると暗雲区湧の中に白連の葉に座られた観世音菩薩がきらきらと輝いて現れた。
道元大師が合掌、頂礼すると、風がおさまり大波も止み、船は無事港に着くことができた。

仏壇の蒔絵 浄土真宗 編

仏壇の蒔絵 浄土真宗 編

親鸞 「石の枕」

親鸞聖人が四十五才の時、お供を連れ常陸の国は大門村を訪れた。
寒い北風の吹雪の夕方日野左衛門家に願われたが邪見に断られた。
聖人は門の前で石を枕にして一夜を明かす事にした。
左衛門は、夜半夢に本尊の観世音菩薩が現れ「今夜宿を求めた旅の僧は西方極楽の弥陀世尊である。早く招き入れ一座の説法を頂戴せよ。」と霊告を受けた。
驚いて妻戸を開けてみると聖人が石を枕にし念仏を唱え、その一声一声が光明となって輝くのを見て家に招き、一夜の説法にふれ、鬼の左衛門も信仰に入りその場で菩薩の心を起こした。

親鸞 「川越」

親鸞聖人は柿崎にある家に行きつき、門前で一夜を明かす事にした。
夜中、そこの夫婦が念仏の声を聞き、聖人を家の中に招き入れ、念仏の教えを聞いた。
主人の心が熟柿となっていたようなことから、その主人に「南無不可思議光如来」の名号を与えて翌朝出発された。
女房が後を追ったところ、もう川を渡っていられたが、川を隔てて「南無阿弥陀仏」と書いてもらったので、川越の名号と言われている。

仏壇の蒔絵 日蓮宗 編

仏壇の蒔絵 日蓮宗 編

日蓮 「荘厳なる大教の開闡」

建長五年日蓮聖人は比叡山を下り、伊勢大廟に参詣し、新宗教開宣の旨を奉告された。
一ヶ月のち大禅定(座禅を組んで心を静め、精神を集中して真理を考えること)に入り、七日後の明け方、清登山頂の旭の森の一角に立ち、東の空に耀々とのぼる朝日に向かった。
空気が澄んだ天地静寂のうちに永遠に照らすこの大教が開闡した。
そのうえ洋々たる大海の上には朝日が光り輝いた。
その時の風影から事の始まりとして「南無妙法蓮華経」のお題目を唱え、連長の法名を日蓮と改めた。

日蓮 「北海佐渡が島の遠流」

日蓮聖人は死刑が決まったが、御台所のご懐妊の為一時赦免となり佐渡が島へ遠流されることになった。
越後の国三島郡寺泊まで不慣れな道を歩き、そこから船で出発したが、波が荒れて角田に流れ戻った。
二週間後改めて角田を出発したが、沖合いに差しかかると、またもや逆風が暴れ狂い、危険な状況にあった。
この時聖人は、船首に南無妙法蓮華経と書くと、その跡が十丈程白波が立ってしばらくは波間に消えなかったという。
これが有名な佐渡波の浮題目である。
やがて波がおさまり船は無事に佐渡が島に着いた。

仏壇の蒔絵 真言宗 編

仏壇の蒔絵 真言宗 編

弘法大師 「御帰朝と飛行の三鈷」

恵果和尚について、真言密教のみ教えを全部うけついだお大師さまは、大同元年(806)八月、明州から日本に帰ることになった。
その時、お大師さまは明州の浜辺に立たれ「私が受けついだ、み法を広めるのによい土地があったら、先に帰ってしるしを表して下さい」と祈りながら手にもった「三鈷」を、空中に投げられた。
三鈷は五色の雲に乗って、日本に向かって飛んで行った。
この三鈷が高野山の御影堂の前の松の枝に留っていたので、これを「三鈷の松」と崇め、この時の三鈷を「飛行の三鈷」として、高野山の宝物になっている。

弘法大師 「神泉苑の雨乞」

天長元年三月、日本中が大日照りとなり、穀物はもとより、野山の草木もみな枯れはてて、お百姓さんは勿論のこと、人々のの苦しみは大変なものだった。
この時、お大師さまは陛下の思し召しにより八人の弟子とともに、宮中の神泉苑で雨乞いの御祈祷をされると、結願の七日目、今まで雲一つなく照り続いた大空が、忽ちに曇り、三日三晩甘露の雨を降らし、生物はよみがえり、草木は生色をとりもどした。人々はお大師さまのお徳をたたえ、その法力をあがめた。

仏壇の蒔絵 浄土宗 編

仏壇の蒔絵 浄土宗 編

法然 「月輪殿にて兼實に空中を飛ぶ姿を見せる」

法然が月輪殿で念仏を唱えた後、退出しようとした時、禅定殿下はひざまづいて礼拝し後影を見送ると、不思議なことに足は地面を踏まず、蓮の台の上に乗って空中を進み、頭光を表して出て行かれた。
周囲の伴の者はその姿を見れず、禅定殿下のみに見せた法然の奇蹟である。

法然 「専修念佛」

法然は善導の導きによって、彌陀の本願に遭うことができた。
「偏依善導一師」を念ずる法然の夢中に善導が現れ専修念佛を参歎し宗派を浄土宗と名付けていただいた。


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